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心にしみる一言(308) 目の不自由な人は触らないとわからない。どんどん触ってほしい。

ふれあい観音

◇一言◇
 目の不自由な人は触らないとわからない。どんどん触ってほしい。

◇本文◇
 短歌を詠む友人が、京都市・嵯峨野、愛宕(おたぎ)念仏寺に行きたいというので、案内役を買って出たことがある。新しくできた鐘の音を聞きたいのだという。歌の題材にしたかったのだと思う。
 寺は仏師で仏像修理技師の西村公朝さんが住職を務めていた。境内には石の羅漢像がおびただしい数で置かれていた。西村住職の指導で参拝者が造ったものだという。逆立ちをしていたり、顔の上下が逆さになっていたり、アフリカ彫刻のようだったりと、表情が豊かだ。
 目的の鐘を見つけた。鐘はド、レ、シの3つの音が響くということを、友人は調べていた。それが、声明の音階だという。ところが寺は工事中で、鐘の場所も立ち入り禁止になっていて、残念ながら音を耳にすることいができなかった。
 立ち入ることができる場所に、ふれあい観音があった。西村住職の作。目の不自由な人は、触らないとわからない、という発想で、どんどんさわってほしい、と説明があった。たくさんの人が触れたのだろう、仏像はテカテカと光っていた。
 京都市・仁和寺の第45世門跡、松村祐澄さんが、目の不自由な仏師のために、国宝の仏像を触らせたと話していたことを思い出した。
 ふれあい観音は耳飾りをしている。花柄のデザイン。しょげていた友人が、この仏像を見て喜んだ。友人は仏像の耳飾りに凝っていた。仏画ではよく見るが、仏像となると、そう多くはない。これも歌の題材にするためらしい。京都市では泉涌寺の楊妃姫観音のピアス型の飾りも、わざわざ見に行ったことまで話し始めたのが、おもしろかった。(梶川伸)2021.05.14

更新日時 2021/05/14


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