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心にしみる一言(336) 水源7カ所から土管、木樋、竹管で水道を敷いた

高松市のシンボル、栗林公園も西嶋八兵衛の治水工事がきっかけになって作庭された

◇一言◇
 水源7カ所から土管、木樋、竹管で水道を敷いた

◇本文◇
 1996年に高松市に赴任した。恵まれた瀬戸内気候で、1年5カ月を気持ちよく過ごした。その前年の1995年は、高松市の日照時間は1188時間で、塔道府県庁所在地では1番長かったことを、しばらくして知った。
 香川県には「大きな川がない。好天の日が多いのは良いことだが、反面で水不足になる。1995年は「高松砂漠」と呼ばれ、名物の讃岐うどんを作るのにも支障が出るほど大変だった。
 水の苦労は昔から絶えなかったようだ。高松市の中心部にある江戸時代の亀井戸跡を見て、その苦労と工夫をさらに知った。そこは神社になっている。説明板を読んでみた。
 生駒4代高俊の時、西嶋八兵衛が香東川の治水工事を行い、川の流れを西側に変えるとともに、東側には給水地や井戸を造った。高松藩初代松平頼重が1644年、水源7カ所から土管、木樋、竹管で水道を敷いた。こうして、水に苦しんだ高松に、水道網ができた。
 亀井戸は亀形の穴で、それが名前の由来になった。東西18メートル、南北36メートルと大きい。市東北部の給水を引き受けたという。
 これが江戸時代のことだから感心する。亀井戸の拝殿の前に蛇口が2つついていて、自由に使っていい、との字が書いてあった。水とのかかわりが強い高松を物語る。(梶川伸)2-21.10.01

更新日時 2021/10/01


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