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編集長のズボラ料(708) カレイの唐揚げ甘酢あんかけ   

カレーは表面がパリパリになるように揚げる

 スーパー行くとに、平たい魚を半分に切って売っていることがありう。2人で食べるには便利だから、買うことがある。しかし、食べる時には必ずけんかになる。
 お腹の部分に包丁が入れてあるが、不公平感を感じるからだ。2つのうち、頭がある方が必ず大きいのだ。
 頭は食べられない。切る人はそれを考えて、魚の長さの半分より少し尾に寄った所で切る。その親切心があだとなる。
 カットされた2つを並べると、当然ながら頭の方が大きい。生のままだと、「頭はたべないから」と納得できる。しかし、煮たり焼いたりした後で見比べると、頭の部分もおいしく食べられそうに見えてしまう。
 しかも、尾の方は次第に細くなっていくので、貧相にも見えてしまう。こうなると、2人とも頭の方を選びたくなり、取り合いが始まるのは、必然である。
 もう1つ、大きな問題がある。それは魚の卵だ。2つに切ると、卵の8割は頭側になる。煮魚にした時は、身よりも卵の方が主役になる。それなのに、尾側になって卵の2割しか当たらないと、不公平この上ない。へたをすると、わずか100粒ほどに甘んじることだってある。けんかになるのは必然である。
 魚の卵の威力は、鯉の甘煮でよくわかる。コイを輪切りにして、甘辛く煮たものは、見るからに食欲をそそる。滋賀県の琵琶湖のそばや、京都市・錦市場で見つけると、つい買いたくなる。輪切りの真ん中に卵がドーンとスペースをとり、茶色に煮詰まって、照りもあろうものなら、食べたくなるのは必然である。
 友人と大津市の三井寺に参拝した際、商店街で見つけ、買って持って行き、寺の境内で食べた。それが、見つければ手が出るきっかけになった。帰りにもう1つ、土産に買って、家で食べたが、時間がたっているので、甘辛いたれがかなり流れ落ちてしまい、照りもなくなっていて、コイの煮つけは三井寺で食べるべし、の原則を学んだ。
 スーパーで2つに切って売っていたカレイが、今回の材料である。卵は小さかったので、けんかになることはないが、から揚げにすることにした。カレイの裏表に、包丁で切れ目を何筋か入れる。小麦粉とカタクリ粉を混ぜてカレイにまぶし、油でじっくりと揚げる。
 鍋にだしを取り、みりんとしょうゆで濃いめに味をつけ、シメジをほぐして煮る。最後にカタクリでとろみをつけ、皿に乗せたカレイの上にかける。彩にミズナなどの緑の野菜を添える。
 鯛は片身を3つに切って売っていることが多い。これもけんかになりうる。2人で食べるとなると、2鯛1になるからだ。(梶川伸)2024.01.13

更新日時 2024/01/13


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