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読者とゆく能勢街道第4回 25人参加

豊中運動場記念パークでは、田中螢柳さんが、街道歩きの途中で作った川柳を披露した

 マチゴト豊中・池田は2月4日、第4回「読者とゆく能勢街道」を実施した。今回の参加者は25人だった。マチゴト川柳の選者、田中螢柳さんと連載記事「まちなみ探訪」の筆者、水原哲二さんも参加した。
 午前9時半に阪急岡町駅に集合。ストレッチ体操で体をほぐした後、連載記事「読者とゆく能勢街道」を執筆した梶川伸の案内で、阪急蛍池駅まで歩いた。
 まず豊中市伝統芸能館へ。その横が大石塚、小石塚で、両古墳を見るとともに、館内に展示してある出土品の埴輪(はにわ)を見学した。
続いて一行は岡町商店街にある江戸時代から続く店「土手嘉」へ。店主の畑宏年さんが店の歴史を語った。畑さんは8代目。初代は嘉助という名で、周囲に土手があったので「土手嘉」という屋号になったそうだ。酒蔵や八百屋なども営んでいたという。店の前に原田神社があり、畑さんは「お百度石に、八百屋嘉助の文字がある」と話し、参加者はその石をみて、嘉助の名前を確認した。
 すぐ近くの瑞輪寺にも寄った。江戸時代の俳人、水田西吟の弟子が建てた石碑、一休禅師の息子で住職を務めたことのある紹偵の墓があった。
 旧能勢街道沿いに続く高木邸、良本酒店など、古い建物を見ながら歩き、旧豊中高等女学校(現桜塚高校)まで足を伸ばし、当時のレンガ塀を鑑賞。この塀はレンガとコンクリートを組み合わせ、校章だった桜の花びらを透かし穴としてあしらっている。
 阪急豊中駅では、松崎昭治・統括駅長らが参加者を3班に分けて、駅の中を案内した。自動券売機の裏側、乗降客の様子を見るカメラ、授乳室など、普段は見ることがない駅の裏舞台を見て、参加メンバーはしきりと感心していた。
 豊中駅のあたりから、能勢街道は新旧の2つのルートに分かれるが、この回は阪急の線路の西側を通る新道をたどった。このルートには豊中運動場記念パークがある。ここは高校野球や高校ラグビーの発祥の地。参加者はセンバツ高校野球に出場する豊中市の履正社の活躍を期待しながら、第1回大会の始球式のレリーフを見入っていた。最後に江戸時代の麻田藩陣屋跡の碑を見学して散会した。
◇田中螢柳さんが詠んだ川柳は次の通り。
芸能館三味や出囃子聞こえそう
前方後円墳の頂き寒鴉
土管とは違うと埴輪言いたそう
食べもせず土手嘉ののれんくぐりけり
西吟と子葉をしのぶ瑞輪寺
西吟塔へ龍宮に似し門くぐる
街道の面影しのぶ虫籠窓
セーラー服の嬌声残る煉瓦塀
駅機能さらに阪急好きになり(豊中駅)
こんな所に球児の聖地ひそとあり
始球式羽織袴に威儀正し
(梶川伸)

八百屋嘉助 土手嘉 豊中運動場記念パーク 麻田藩陣屋跡

更新日時 2012/02/05


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