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編集長のズボラ料理(315) 甘栗ご飯

塩麹はあまり入れすぎるると、甘みも増してしまう

 秋のご飯といえば、マツタケご飯と栗ご飯が代表格だといえる。しかし、2つを比べると圧倒的の栗ご飯のランクが上だ。
 栗ご飯はおいそれとは作れない。心を落ち着け、気力が充実した日を待たなければならない。その日が来たとしても、「よし!」と気合いを入れととりかかる必要がある。
 できれば栗の皮をむきたくない、という根強い願抵抗感が心の底にある。それを振り払ってこそ、栗ご飯づくりに臨むことができる。それほど、栗の皮をむくのは面倒くさい。
 むいてある栗を買えばいいではないか、との誘惑にいつも引きずられるが、でも、それでは栗ご飯ではなく、むき栗ご飯になってしまう。だから、作るのは秋に1回に限られる。
 僕も含め、家族はインスタグラムをしている。それはそれでいいのだが、インスタ情報に基づいて勝手なことを言いまくる。「みんな栗くり坊主を使っている」と言う。これは冷静な報告に見えるが、実はそうではない。意訳すれば、こうなる。「栗くり坊主という便利な器具があって、簡単に皮がむけるらしいので、これを買って栗ご飯を作れ」という命令なのである。
 その手にはのらない、僕も2年前に、100円ショップで栗の皮むき用ナイフを買っている。刃の部分が半月形になっていて、包丁に比べればかなり楽になった。2年に1回の栗ご飯が1年に1回になったのも、そのおかげだと言える。それでも「楽さ」では「かなり」の程度なのだ。栗くり坊主にしたって、かなりな程度に違いないから、命令はほおっておいた。
 次の冷静な情報報告が来た。「甘栗ご飯を作っている人がいる」。意訳をすると、「甘栗ご飯を食べてみたいから作れ」という命令である。
 これには心が動いた。「甘栗と塩麹(こうじ)だけでいい」という情報が追加されたのが大きい。甘栗なら爪ですぐに皮がむける。簡単やん。皮が外れた時の快感もある。ズボラ料理にピッタリだ。
 さっそくスーパーに甘栗を買いに行った。すると、むき甘栗があった。これを使おう。それではむき甘栗ご飯になるではないか、との反論があるかもしれないが、「栗ご飯と甘栗ご飯は別物」と考えればいいのだ。
 作るときには、多少は自分色をつけた。インスタ情報に基づく命令に、「はいはい」と応じたくない。といだ米に甘栗と塩麹を加え、それにコンブと白だしを足したが、これが淡い自分色だった。
 できばえはどうか。栗ご飯ほど見栄えはよくないが、そうでない栗もそれなりに。(梶川伸)2018.10.04

更新日時 2018/10/04


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