このエントリーをはてなブックマークに追加

心にしみる一言(345) 満願の赤飯だけど、ここが出発の人は出発の祝い、九州から渡って愛媛県から始める人にとっては中間の祝い

大窪寺の紅葉

◇一言◇
 満願の赤飯だけど、ここが出発の人は出発の祝い、九州から渡って愛媛県から始める人にとっては中間の祝い

◇本文◇
 四国遍路を初めて回った時は、自転車だった。仕事の現役だったので、2泊3日ずつの行程。1995年12月が初回で、96年の晩秋に、88番大窪寺(香川県さぬき市)にお参りして結願した。
 紅葉の時期だったが、その記憶はない。しかし、その晩泊った寺の前の遍路宿の赤い色はよく覚えている。祝いの赤飯だった。
 遍路で出会った東京の自転車遍路の男性と懇意になり、手紙のやりとりが始まった。手紙の中に、赤飯が出ると書いてあったので、この宿を選んだ。翌日は1番霊山寺に戻ることにしていた。
 前日と翌日は団体で一杯だが、この日は運よく空いていた。確かに夕食に赤飯があった。当時のメモを見ると、ハマチとマグロの刺し身、高野豆腐、カボチャ、コンニャク、サヤインゲンの煮物、コハダのなます、豆腐のソテー、ブリの照り焼き、山菜の煮物、吸い物、赤飯1ぜん、それにご飯、と書いてある。遍路宿にしては盛り沢山。ご飯とは別に赤飯が運ばれてきたのが不思議だった。
 赤飯を喜ぶと、女将は「何ちゃできんけんな。満願の赤飯だけど、ここが出発の人は出発の祝い、九州から渡って愛媛県から始める人にとっては中間の祝いにもなる」と話した。
 女将の話は面白かった。終戦直後に徒歩で回ったそうだ。体が弱く、母親が願をかけていた。回復したので、おばと四国88カ所を回った。18歳の時だった。
 食糧難の時代。1升の米とわらじを3足を持っていった。米はすぐになくなった。しかし、1合の米がないと泊めてもらえない。泊めてもらっても、吸い物と漬け物、煮しめがあればいい方。たくはつをしながら回ったが、18歳の娘には恥ずかしかった。50日ほどかかった。
 赤飯には、その時の思い出が詰まっているような気がした。栗まで入ったおいしい赤飯だった。(梶川伸)2021.11.07

更新日時 2021/11/07


関連地図情報

関連リンク