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心にしみる一言(355) 被災者のためのページがいる

慰霊施設での献花(2021年)

◇一言◇
 被災者のためのページがいる

◇本文◇
 阪神大震災から25年目に当たる昨年(2021年)の1月17日に合わせて、毎日新聞から当時のことを書いてほしいと依頼があった。私は16日夜、大阪本社で宿直をしていたので、発生時刻からの流れを知っているからだった。
 私の新聞記者人生で最大の出来事だったので、テーマはいろいろとあった。その中から、「希望新聞」と名づけたページのことを取り上げた。その記事に少しだけ手を入れて、掲載する。
  ◇
 「被災者のためページがいる」。広島支局の支局長から大阪本社に電話があった。18日のことで、朝だったと思う。残念ながら、「思う」としか書くことができない。
 本社10階の宿直室で、震災に遭遇した。14階の編集室に駆け上ると、スプリンクラーがコンピューター端末に水を噴いている。宿直責任者として「夕刊は出せるか」と青ざめた後は、混乱の中で細かい記憶は飛んでしまった。
 電話を受けて会議が開かれた。私は「悲しみの中だからこそ、希望を掲げたい」と、ページの名前に「希望新聞」を提案した。
 阪神大震災の死者は最終的に6434人。会議のあった震災2日目はまだ、犠牲者は2000人前後だった。「死者が増えていくのに、希望でいいのか」。議論があり、いったん各部に持ち帰り、再開した会議で決まった。
 19日の朝刊で、新ページ「希望新聞」が始まった。「被災者の情報」から「被災者に情報」への転換。ライフラインの復旧状況、炊き出しの場所などの生活情報ばかり。新聞は最新情報を伝える。だが、復旧は難航し、同じような記事を繰り返し載せたわけで、新聞の転換点ともなった。
 避難所には記者たちも新聞を運んだ。希望新聞は壁に張られ、「新聞は役に立つ」と確信した記者は多い。連日掲載は1年を超え、名前は東日本大震災でも引き継がれた。(梶川伸)2022.01.10

更新日時 2022/01/10


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