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新春インタビュー 浅利市長「豊中らしい自立したまちづくりを」

「今年は海外で仕事をしている息子が帰国する予定で、孫と会えるのを楽しみにしています」と話す浅利市長

 浅利敬一郎・豊中市長に2011年を振り返ってもらい、2012年の抱負などを聞いた。(聞き手・早川方子)

――浅利市長にとって昨年はどのような年でしたか?

「東日本大震災による被災の凄まじさです。豊中市は震災前から“安心・安全なまちづくり”を掲げてきましたが、改めてその思いを強くしました」

――どういった取り組みですか?

「小学校区を単位に結成された住民組織『校区福祉委員会』や『自主防災組織』、地域で高齢者を見守る『安心生活創造事業』などです。どれも住民と行政が一体となった活動です。行政だけでまちづくりはできません。より一層の協力をどう呼び掛けるかが課題です」

――被災地への支援も早かったですね

「地震直後には、消防職員と給水のための上下水道局職員を派遣しました。阪神・淡路大震災での教訓を生かして、継続的な支援に取り組んでいます。豊中市は以前から空港所在地として交流のある宮城県岩沼市や福島県須賀川市などに独自支援を続けてきました」

――大阪国際空港は7月に関西国際空港と経営統合されますが、どのように考えていますか?
「豊中市では2008年に、『企業立地促進条例』を制定し、すでに条例を活用した企業が12事業所あります。条例に基づき、空港周辺移転補償跡地への企業誘致も進めており、これら企業の雇用拡大にも期待しています」

――4月から中核市へと移行しますが、住民にとってのメリットは?

「保健所運営など1800にも及ぶ事務権限が市に移ります。また、教職員の研修や採用・処分を行う人事権も豊能地区3市2町に移譲され、さまざまな分野で、より豊中らしい自立したまちづくりができると考えています」続きはウェブ(www.machigoto.com)で

――中核市となって、たとえば全国的に知名度が上がるなどといったメリットはありますか?

「存在感はアップすると思います。昨年8月、中核市指定の申し出のため総務省に伺った際、片山善博・総務大臣(当時)から教職員の人事権移譲について『中核市のモデルとして期待している』との言葉をいただきました。片山大臣とは学校図書館を活用した教育談義などでも話がはずみました。予定時間を大幅にオーバーしたほどです」

――橋下徹・大阪市長など、首長によるトップセールスなどが話題になっています。浅利市長が考える豊中市のPR点はどこにあると思いますか?

「まず、交通の利便性でしょうね。この狭い市域に鉄道駅が13駅もあり、空港や高速道路もすぐ近くにある。これだけ集中している自治体は少ないのではないでしょうか。そのほかの点でいえば、市内には大阪大学と大阪音楽大学があり、施設や人材が豊富なことです。両大学とは包括協定も結び、教育や文化芸術などさまざまな面で連携した取り組みを展開しています」
――最後に、プライベートで何か変化はありましたか?

「今は妻と2人暮らしなので、特にこれといってないです。今年は海外で仕事をしている息子が帰国する予定で、孫と会えるのを楽しみにしています」

――得意の手料理で迎えるとか?

「もちろん。料理もそうですが、家事も含めて自分のことは自分でする。これが夫婦円満の秘訣ですよ(笑)」

更新日時 2012/01/05


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