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有馬道をゆく 池田市井口堂~ダイハツ町

織り姫伝説にちなむ猪名津彦神社

 有馬道はその昔、天皇らが有馬温泉(神戸市)に行く際に通ったという。西国街道から分岐する。分岐点は、池田市井口堂と箕面市瀬川が接する箕面川の今井橋あたり。今回は、ここを出発点にした。
 今井橋の周辺は、豊島河原合戦の地とされる。新田義貞と北畠顕家を総大将とする後醍醐(ごだいご)天皇軍と、足利尊氏(あしかがたかうじ)を総大将とする軍勢が、建武3(1336)年にここで戦った。ただし、豊島河原とされている正確な場所は分かっていないようだ。
 西に少し歩くと、石橋小学校で、グラウンドのフェンスに有馬道の案内板が設置してある。見ると、「豊臣秀吉がこの道を通って有馬の湯に行った」と書いてある。ただし、文末は「のかも」。
 井口堂2-10で三差路となる。ここには石仏のレリーフの道標が立っていて、「右大坂」と大きな字で彫ってあった。そばに、能勢街道の案内板が取り付けてある。能勢街道は南から合流する。2つの街道は200メートルほど一緒になる。次の道標で、有馬道はそのまま直進して西に進み、能勢街道は北への進路をとる。
 街道から少し北にそれた所に「まめだぬき」という小さなカフェがあった。三田市でアイガモ農法をしている井関農園が開いている米屋で、地域の客の希望もあって、おにぎりや、ぜんざいなどを出すようになったそうだ。梅、ヒジキ、サケのおにぎりにみそ汁がついて500円のセットを食べ、また歩き始めた。
 国道176号を渡り、阪急電車の高架下をくぐると宇保公園があり、有馬道の案内板が設けてあった。このあたりは、呉庭荘(くれはのしょう)という荘園の推定地だという。池田市は、中国からやってきた織り姫、呉服(くれはとり)、穴織(あやはとり)の伝説で知られる。「呉庭」もその流れをくむものだろう。
 街道沿いには、織り姫伝説にまつわる場所が続く。猪名津彦(いなつひこ)神社もその1つ。中国・後漢時代に織り姫を連れてきた阿智使主(あちのおみ)らをまつっている。
 染殿井(そめどのい)と呼ばれる井戸の跡もある。織り姫たちが糸を染めたと伝えられる場所で、江戸時代の名所ガイドブック「摂津名所図会」に出てくると、説明にあった。街道はやがて、猪名川に出て、川西市に入っていく。(梶川伸)

有馬道 豊島河原合戦 呉庭荘 くれはとり あやはとり

更新日時 2012/04/18


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