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豊中運動場100年⑫日米野球戦の興奮再び ワシントン大を迎えて

豊中運動場の開場をきっかけに大阪でも日米野球戦が人気を集めるようになった。写真は大正時代初めの日米の大学の対戦の光景=場所は不明

 開場したばかりの豊中運動場が全国から注目を集めたのは日米野球戦の開催だった。1913(大正2)年6月に開場記念試合となった慶応大対米スタンフォード大が評判を呼び、豊中運動場の存在を一気に全国に伝えた。これをきっかけに、来日した外国チームの多くが豊中運動場で試合をすることになる。
 同年9月に来日した米ワシントン大学も関東で11試合をこなした後、10月に入って早稲田大、明治大のチームとともに大阪に乗り込んできた。大阪朝日新聞社の主催で豊中運動場を会場に早稲田大、明治大と各1試合することになった。スタンフォード大と慶応大の熱戦が関西の野球熱を高めていただけに、ワシントン大の来阪は大きな注目を浴びる。
 別の意味でもワシントン大は注目を集めていた。関東で行われた11試合のうち2試合が放棄試合になったことだった。ともに慶応大との試合。9月21日には運動場規則の解釈を巡ってワシントン大が抗議、15分後に全員が退場したため9―0で慶応大の勝ちになった。5日後の26日には、試合途中に土砂降りの雨となったため慶応大がノーゲームを主張。ワシントン大は9回までやると拒否したため慶応大ナインが退場し放棄試合になった。
 「敵に背を向けて退くなどひきょうだ」と2度に及ぶ放棄試合は大論争を呼ぶ。トラブルが発生するたびに起こる野球場での乱闘騒ぎが日常茶飯事だった当時、「豊中でも騒動を巻き起こすに違いない」とうわさが広がった。
 前夜の暴風雨がうそのように晴れ上がった10月4日。午後2時50分。1万5000人を集めた豊中運動場で早稲田大対ワシントン大が始まった。
 早稲田は1回に適時打で先制するも、ワシントン大が3回と4回に効率の良い攻めで計6点を奪い一気に逆転した。早稲田はワシントン大を上回る長短8安打を放ったが決定打に欠け、5失策を数えるなど良いところなく敗れた。
 翌5日。日本晴れの下で明治大対ワシントン大が行われた。明治は1回に2点を先制。中村、ポートマン両投手の好投が続いたが、ワシントン大が7回、8回に集中打を浴びせて計5点を挙げて逆転。明治は惜敗した。
 最寄り駅の豊中停留場は10月1日、それまでの仮営業から正式に開業。アクセスも完全に整備され、大会開催の問い合わせが殺到するようになった。(松本泉)

【1913年10月4日】
 ワシントン大―早稲田大
ワ大 004200000=6
早大 100100000=2
【同10月5日】
 明治大―ワシントン大
明大 200000000=2
ワ大 00000014×=5

=2013.20.25

豊中運動場 慶応大対米スタンフォード大 ワシントン大―早稲田大 明治大―ワシントン大

更新日時 2013/10/25


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