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豊中運動場100年⑯ 日本オリンピック、好記録続出

大会で最も注目を集めた5000メートル走のスタート(当時の新聞から)

 1913年10月に開かれた日本オリンピック大会は、3年後のベルリン五輪を目指して陸上のトップアスリートが力を競った。一方で、大阪の小学生の徒競走や、女子生徒の集団演技などがプログラムに入っていて、市民にも親しみやすい大会を目指した。
 小学生の徒競走は第1日。尋常科生は100メートル走、高等科生は400メートル走に出場。大阪の各小学校の代表選手計220人が参加し、観客から大歓声を受けた。
 女子生徒の集団演技は第1日と第2日。夕陽丘女学校の400人がスウェーデン体操を見せれば、梅田女学校の350人が華麗な踊りを披露。江戸堀女学校の450人はスウェーデン体操、清水谷女学校の550人は五輪の歌に合わせた踊りを繰り広げた。大阪の女子生徒がこれだけの規模で演技を披露するのは初めてで大変な評判になった。
 最終日となる第3日の競技は午前10時に開始。前日までの予選を勝ち抜いた選手が次々と決勝に臨んだ。
 200メートル走は吉田松次郎選手(奈良)が他選手を大きく引き離し26秒1で圧勝。走り高跳びは優勝を決めた春日弘選手(神戸)が記録の更新を目指して挑戦を続け、1.6メートルを記録した。200メートル障害走は、前日の100メートル障害走が散々な結果に終わっただけに、どうなることかと思われたが、中村秀好選手(伊丹中)が予想をはるかに上回る好記録の24秒8で1位となった。
 続く800メートル走は井手伊吾選手(慶応大)が2分14秒6、1500メートル走は建部藤助選手(大阪)が5分3秒でそれぞれ優勝を遂げた。
 最後を飾ったのは大会中で最も注目を集めた5000メートル走だった。この年の2月にマニラで開かれた第1回東洋オリンピックの5マイル(約8キロ)走で見事に優勝した田舎片善次選手(愛知一中)が優勝候補の筆頭だった。レースは中盤から田舎片選手を軸に、加藤富之助選手(京都)、神豊太郎選手(同志社大)が激しい競り合いを繰り広げた。しかし田舎片選手は最終盤で脱落。最後は加藤選手が1秒の差で神選手を振り切り、17分22秒1でゴールした。
 5000メートル走は途中から激しい雨の中での戦いになった。虫垂炎に悩まされていた田舎片選手にとっては辛いレースだったようだ。レース後、田舎片選手は「途中から具合が悪くなり棄権しようかと思った。『田舎片しっかりやれ』と声援してくれたので途中でやめるのは男らしくないと無理に続けた。でもやはり息苦しくてみじめな最後を見せてしまった」とうなだれた。(松本泉)
=2016.02.03

日本オリンピック大会 豊中運動場 夕陽丘女学校 梅田女学校 江戸堀女学 清水谷女学校 第1回東洋オリンピック

更新日時 2014/02/03


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