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心にしみる一言(290) 悲しみは普通の生活の中でしか乗り越えられない

松本明慶友の会という組織があり、その会報

◇一言◇
 悲しみは普通の生活の中でしか乗り越えられない

◇本文◇
 京都市・大原野に工房を持つ松本明慶さんは、運慶や快慶らの慶派の流れをくむ現代の大仏師だ。酒を飲む場ではあったが、じっくりと話を聞かしてもらう機会があった。ざっくばらんな語りの中に、奥深いものがあった。
 亡くなった人との関係を、飾らない口調で語った。まずは自分のこと。「13歳の弟が死んだ。おれは17歳だった。母は悲しんでいた。しかし、おれだって、同じように悲しいんやで、苦しいんやで、悔しいんやで。おれはどうなってもええんか」。その時、「お母ちゃんは家族のこと考えて。おれは生活を支える」と言って、仏師の道に入った。
 「弟を慰めるために、仏像を彫った。仏像を作ってなかったら、死んでいたかもしれん。悲しい人はいっぱいいる。その人たちの心を癒す仏像を作るために努力した」
 亡くなった家族のために、仏像を彫ってほしいと、しょっちゅう言われる。しかし、そんな人のためには彫らない。子どもを亡くしたお母さんから依頼された時の具体例も出した。
 「何考えてんねん。そんなに泣いていても、何も解決せん。悲しみを演じているだけちゃうか。お父ちゃん(夫)や残った家族を思いやらんか」。そして、取り上げた言葉となる。「悲しみは普通の生活の中でしか乗り越えられん。余生はいま生きている人のためにある」
 締めくくりは「DNAをもらった最終ランナーが自分や。自分を大事にせん人は、先祖や亡くなった人を大事にできん」。それを悟ったのは60歳になったからだとも明かした。(梶川伸)2021.02.27

更新日時 2021/02/27


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