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もういちど男と女(45) 我愛你 

切り絵=成田一徹

 2人の仲は、筆談から始まった。男は思いが募って書いた。「我愛你(ウー・アイ・ニー=愛してる)」
 突然だった。女の答を意訳するとこうなる。愛しているのか、好きなのか、今は分からない。時間がたてば、愛していることになるかもしれないし、好きのままかもしれない。
 男は武術家だった。支部をつくろうと、中国に渡った。50歳を前にしたころだった。女は中国側のスタッフとして手伝ってくれた。
 ひょんなことから、支部づくりとは別に、中国側の人たちとプロレスの興行を打つことになった。興行は成功した。7000人が入る体育館は、4日間満員だった。しかし、売上金は入ってこなかった。仕事仲間にだまされたことを知った。
 男は大きな借財を抱えた。家族に迷惑がかからないようにと考えて離婚した。妻とは再婚だったので、2度目の離婚だった。債権者に頭を下げて回り、返済を待ってもらって、懸命に働いた。
 借金生活の中で、支えになったのが、筆談の女だった。女も離婚していた。強引に誘い、史跡見物によく出かけた。時間がたった。片言の中国語と日本語で意を通じることができるようになり、互いに愛を確信した。
 男は女の言葉の端々に、優しさを感じた。一緒に日本で暮らしたい、と申し込んだ時もそうだった。「あなたは中国人にだまされて、失敗を経験した。私に責任があるわけではないけれど、あなたに付いていくことに反対はない」
 日本に来て女は驚いた。中国では大都会に住んでいたのに、周りに田が広がっている。しかも、住んだのは、墓地の中の小屋だった。その中に1つの布団を敷いて、3カ月ほど寝起きした。
 男は墓を売り、借金を5年で返した。その間に、女は独学で日本語を覚えた。使ったノートは、厚さ10センチにもなった。
 生活が安定すると、武術家仲間の付き合いがまた始まった。仲間が集まると、女は水餃子(すいぎょうざ)を作ってもてなした。「この味なら商売になる」と評判だった。
 7年前、2人は中華料理の小さな店を始めた。女の作る水餃子の味は、口コミで広がった。
 女の子ができると、友人からベビーベッドをもらって、カウンターの中に置いた。仕事の邪魔にならないように、少し高い場所に据えた。そこが女の子の居場所だった。
 歩けるようになると、ベッドの足の下の方を切り、1人で上り下りができるようにした。店が込んでくると、女の子はベッドに上る。間もなく5歳になる。
 そんな微笑ましい家族の光景が今も続く。それが店の持ち味でもある。店には女の名前をそのままつけている。「心愛」という。%(梶川伸)◆おわり◆2007年3月31日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載

水餃子

更新日時 2015/04/12


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